2010年07月28日

善阿弥など、"山水河原者"が庭を造る

ルネッサンス時代からバロックに入るの水利技術を持つ庭園が発達して、メディチ荘の建設にコジモ1世が依頼した水利技術者、建築家そして彫刻家として知られているニッコロ・トリボロと同じ人物が作庭に当たり、また、庭園設計の理論にも活発に著述するようにしていくこのことはヨーロッパの庭の開発に大きな変革をもたらし、ヴェルサイユ宮殿で見ることができる大規模な庭づくりに、造園家は農芸の専門師という立場から、芸術家として扱いを受けていて、厚遇されるようになっていく。ラファエロは"美しき女庭師"を描き、モーツァルトのオペラ"偽の女庭師"(La Finta Giardiniera)は、1775年1月、ドイツミュンヘンで初演されている。アンドレ・ル・ノートルの家はパリにある王室所有テュイルリー庭園で、代々の働いていた造園家の系統的に知られている、ドイツマクデブルクのフリードリッヒ・ウィルヘルムスパルクを取り上げたペーター・ヨセフ・レンネも、宮廷の庭師の家柄の出身である。 チャールズ1世の専属の庭師、16世紀終盤から17世紀にかけて活躍したジョン・トラデスカント親子は、17世紀半ばから18世紀にかけて、海外からの珍しい植物を採集してくる"プラントハンター"というポジションで活躍する。彼らは船に乗って、各国の周辺珍しい植物を採集してきては自宅の庭で育った。また同様に、国を回ったロバート・フォーチュンもエジンバラ王立植物園で園芸を修め、ロンドン園芸協会の庭師だった。イギリスでは、ほかにハンプトンコートの庭師のジョージ・ロンドンやヘンリー・ワイズと彼らのもとで働いていたスティーブンスウィッシャーとアン女王の専属庭師ロジャー・ルッカーたちが知られている。それらの庭の維持管理およびインターンの景色を担当している王室園芸管に活躍する。 日本では古くは苑池の管理する園池司など管制と明治の開拓使が千葉 造園ガーデニングの師匠で、外国人を雇用していることが知られているが、庭を施工する者の意味で"庭師"という意味の言葉は、江戸時代に定着したのである。 さらに、庭造りの用語は、他の平安時代末期からの"石立僧"、室町時代の善阿弥など、"山水河原者"があり、実際には庭を造る人物の身分が呼びに出ている。 室町以来、枯山水のような試みは、一般的に行われるのがされていくが、これは禅宗の影響を受けて雪舟、夢窓疎石のように"石立僧"が台頭していったことがあるが、今でも深谷光軌、枡野俊明などの僧侶が作庭家となるケースである。
posted by shion55888 at 12:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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